1963年、兵庫県城崎郡(現在の豊岡市)の神鍋というスキー場に生れました。4人兄弟の末っ子です。
小さいころは山の中を走りまわっていました。中学生時代はスキー部に所属しクロスカントリーの距離競技をしていましたが、雪不足で開催されず、残念ながら大会出場はできませんでした。
高校、大学と混声合唱団に所属していたこともあり、社会人になり体を壊した後2011年ごろからゴスペルを始め、歌うことでストレス発散できることを改めて実感しました。
学生時代に打ち込めることがあったことが役に立ち、ストレスから働けなくなっていた状況から脱出でき、体調は戻りました。
生き馬の目を抜く証券マン?
1986年に証券会社に入社しました。祖父そして父と株式投資をしていたおかげで、兄弟4人全員がそれぞれ京都に下宿し、私立大学に通うことが出来た家族なのですが、業界の厳しさを知っていたからなのでしょうか、証券会社に入社することには真剣に反対されました。
父の反対を押し切って入社した証券会社でしたが、入社1年目に幻滅しました。
とにかく高値で「これから下がるよ」と思う株を先に会社が市場から買い、翌日の取引開始までにお客様にその銘柄の買い注文を頂くといったような営業手法に閉口しました。当時はルールとしては認められていた様でしたが、とにかく営業マンに強制的にお客様に特定の株式を買わせることを強いた販売手法でした。
とはいえ、3年は続けなければと思い、自分なりに株式の銘柄研究やマーケット環境に合わせた独自の提案をするようになり、会社のノルマを横目に見ながら独自の戦略でお客様と相談するようになりました。
上司からは叱られ続けましたが、お客様からは信頼されるようになり、2店舗目では在籍した7年間で1990年からの下落相場の中、お客様からお預かりする資産、お客様の数をともに3倍に増やすことが出来、担当する課も一営業マンとしても全国でトップレベルの成績になるなど会社からも評価されるようになりました。
「お前、気い狂っとんのか、そんなんで売れるか!?」
一次選抜で課長職になったのは良かったのですが、部下に対しての責任とお客様の利益、そして会社からの指示の狭間で身動きは取れなくなりました。
1990年代半ばには今では悪名高くなった毎月分配金が出る投資信託、アメリカのハイイールド債という格付けが低くリスクの高い社債を組み入れた商品が売れ筋になりました。
私が部下に出した指示は、「マーケットが暴落するような局面では3~4割値下がりするリスクがあります」と説明をすることでした。
結果として私の担当する課の販売実績は振るわず、会議で支店長から詰問され、指示している内容を説明すると「お前、気い狂っとんのか、そんなんで売れるか」と叱責されたこともあります。
その後、その商品はその通りの値動きとなったのですが。
理想の職場を求め転職、しかし体調を崩すことに・・・
社内公募に応募し、本社でプライベートバンキング部門の立ち上げに参加しました。富裕層向けのビジネスをしっかりやるための組織でしたが、集めた人材のレベルも、会社としての取り組みも中途半端で、これではきちんとしたサービスができないと判断しました。
そのころ、転勤のない社員で会社の指示はなく、お客様との相談により投資商品を決められる職種を募集する大手証券会社があり転職しました。
当初はお客様にも喜ばれストレスなく仕事が出来たのですが、会社の株主が変わったことにより、状況が一変し、また、余計な上司の指示に苛まれるようになりました。
怒りが体中に充満した様な状況で、夜も眠れなくなり、体が重く固まったような状態が続き働き続けることが出来なくなり退職しました。
過去の経験から保険代理店に所属するも・・・
なかなか体調は戻らず焦りました。
動きの激しい証券業務は無理だと考え保険の大手乗合代理店に所属しました。証券会社時代に保険を取り扱っていて、事業承継対策を提案し、大きな契約を頂いた事があり、お客様の状況にベストな商品内容だったことでとても喜んでいただいた経験があったからです。
ただ、保険代理店に所属し活動をする中で、違和感を感じることがありました。
それは、『保険を売ることが目的になってしまっている』ということです。この保険代理店では、保険の相談というのは無料で行っていました。マネープランなどと資産運用のことをレクチャーし、お客様の関心を引き、ライフプランを診断して出てくる結論は、保険を加入することにすべて結び付けられていました。
会社というのは利益がないと続けていくことはできません。お客様から直接お金をもらわないとなるとどこから利益が生まれるのか?ということですが、保険の契約が決まった時に保険会社から支払われる手数料が利益になっています。
この構造があるせいで、会社としてはなるべく高い手数料が入る保険を売りたがる傾向にありました。
その為、結局は保険を売るためのFP相談になってしまい、この世界も違うなと感じました。そして、考えた結果自分の目指す形とは違うと思い、この仕事も断念することにしたのです。
原点に立ち返り、立川FP事務所として始動
資産運用業務はある意味装置産業と考えていて、大きな組織でないと、しっかりとしたお客様のサポートはできないと考えていました。
しかし、その状況は大きく変化し、IT化、フィンテックといった技術革新により個人事業でも十分な情報提供ができ、更に、金融機関から指示を受けない、全く独立した立場で仕事ができるようになったことに気づきました。
同時に社会人になるときに就職先を決めた理由が、ファイナンシャルプランニングだったことを思い出しました。
1985年当時、日本で一番早くこの考え方を導入したその会社の説明を聞き「本当に人の役に立てる仕事ですばらしい」と感じ入社を決めたことを思い出しました。
FPとしての勉強はずっと続け、仕事の考え方、お客様への情報提供には利用していました。
人の一生涯に渡る資金収支をシミュレーションし、夢の実現をサポートするためのライフプラン相談を中心に、必要があれば資産運用をしっかりサポートできるFPは希少価値があることにも気づき、2016年1月から立川FP事務所として活動を始めました。
お客様の役に立つこと
FPとしての有料の相談業務を中心に据えてやり直したことで、お客様が本当に必要とされることのサポートを実行できるようになりました。
相続の不安を解消するために2年間にわたりサポートさせていただいたご家族がいらっしゃいます。
税理士、司法書士、土地家屋調査士といった有資格者を交えながら実行支援し、最終的に公正証書遺言をご夫婦ともに作成いただいたことにより一通りの対策が完了しました。
公証人役場での手続きを終えて、お客様と一緒にホットしました。
そのあと実際に進んでしまった認知機能の低下の中でも、遺産分割協議の必要がなくなったことなど、将来の不安が大きく解消できた。とご夫婦、ご家族に喜んでいただいています。
相続後もご家族が仲良く過ごし続ける為のお手伝いが出来たことを実感でき、私自身もこの仕事のやりがいを感じました。
自分が何かを売りたいのではなく、お客様が本当に必要とされる部分をしっかりサポートできる状況になったことで、私自身もストレスなく仕事ができています。
資産運用にしても、保険の加入にしても、お客様が本当に必要とされる部分を、お客様の状況に合わせてご提供できることがお客様の大きなメリットなっていることを実感しています。
日本人の資産運用に対する考え方を変えたい
我が国の金融機関の現状は、本来のあるべき金融商品の提供がいまだに出来ておらず、日本人の資産形成は全く非効率な現状があります。
ご相談を受ける中で、ある大手金融機関からの提案でご自身の金融資産のうちの5割がブラジルレアル、2.5割がトルコリラの通貨リスクを取ってしまっているお客様もいらっしゃいます。
高齢であまりリスクを良く理解出来ていないにも係わらずです。
果たしてその営業担当は何を考え、またその金融機関は何を管理しているのか、激しく憤りを感じる様なことも少なくありません。
ようやく金融庁もお客様の利益を最優先に考えることを金融機関に要請し始めましたが、私が30年も前から会社に対して言い続けてきたことを今更とも感じてしまいます。
お客様の思いを実現させるために、問題点を確認し、とるべき対策を理解頂き、実行されるのであれば可能な限りサポートする。
単純にそうしていくことでお客様の理想に近付いていただける。無駄なコストを省き、貯蓄の残高を増やし、投資にも適正な金額を充てていく。
適切な投資先に適切な額を投資し、そのバランスをコントロールすることでしっかりと資産形成、管理を実行サポートさせて頂き、お各様に多くの資産を築いて頂くと同時に、投資を通じて社会貢献して頂く。
本来の金融のあるべき姿を実現することで、日本の皆さんにも投資することの大切さに気づいていただくことが出来ると思っています。
理想的な資産構成を実現し、将来の選択肢を増やすことにより、例えば自己投資にお金をかけられ、スキルアップする。本当に取り組みたい仕事を成功させ、事業家としての成功を手に入れるなどといったことが可能になるのです。
営業マン的に何かを膨らませよく見せて買っていただくような仕事を嫌い、ありのままを伝えるよう心がけています。
私の経験と情報をお客様に生かしていただくことにより、「本当にやりたいこと」の実現に近づけていただけると確信しています。
代表の向藤原寛です
ホームページにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。立川FP事務所の代表、ファイナンシャルプランナーの向藤原 寛(むこうふじわら ひろし)です。
ファイナンシャルプランナーは、お客さまの人生を共に考える仕事です。
投資に関する深い知識だけでなく、相続や保険などのあらゆる知識と経験が求められます。
私自身、証券会社での営業を経て管理職になり、その後本社でプライベートバンキング部門の立ち上げに参画した後転職。保険の大手乗合代理店に所属するなど試行錯誤した結果、一念発起し独立系ファイナンシャルプランナーとして起業したという経歴があります。
投資の世界をわかりやすく伝え、特に投資信託の分析力を高めることでお客様の運用パフォーマンスを高めていくことのできるファイナンシャルプランナーとして活動させていただいております。
「将来どうなりたいのか?」
「何歳までにどれくらいお金をためたいのか?」
「人生の目標は?」
などの未来への希望は皆さまお持ちだと思います。ですが、それを実現するための手立てをご自身でプランニングすることは至難の業です。
我々ファイナンシャルプランナーが、お客さまの目的・目標などをお伺いし、現状の資産状況・家計状況を照らし合わせ、改善すべき点などを洗い出し対策をご相談します。
一言に対策と言ってもお客さまの「現状」「目指す将来の展望」により手法やご提案内容は様々。お客さまの状況に合わせ最良の選択をご用意できるよう、尽力させていただきます。
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